タバンタとヘブラ地方の考察【まとめ】
*7月17日追記アリ
地図にその名を強く残しつつもその存在は薄く忘れられようとしている、タバンタ。
今回はこのタバンタについて、少し考察してみようと思います。
*本記事の内容はあくまで、公式資料集やゲーム内の状況から考えた個人の推測です。数ある妄想のうちの一つとして楽しんでいただけたらと思います。
タバンタとは、ヘブラ地方の一部であり、中央ハイラルとヘブラ山脈等の間に位置する地域の事。
塔の位置はリトの村より南へ向かった先にあります。
前回、この記事にて、簡単にヘブラとタバンタについて触れていました。
簡単に言えば、地方名に含まれていない割に広く地名として残されていることについての考察です。
私が何故タバンタに着目したかというと、ヘブラ地方という割にはタバンタとつく地名が多く存在する事に疑問を抱いたためです。
塔は勿論、タバンタ大橋からタバンタ大雪原まで、かなり広大な土地をタバンタの名が占めています。また、その名を冠する村も以前存在していたことからも、タバンタという地には何らかの文化があったのではないか、と考えました。
まずそもそも、タバンタとは、タバンタ大橋のある辺りからタバンタ大雪原までを言います。現在ではヘブラ地方の一部として地図に載っていますが、多くの地名が残されていることから、私は「タバンタ地方」なるものが以前は存在していたのではないかと考えます。
結論から言ってしまえば、公式資料集でタバンタ地方という言い方をしてしまっているのでそうなのだろうとは思いますが……
ここでは、タバンタにはどういう文化があったのかを考察してみたいと思います。
しかし、タバンタについて考えてみると、割と多くの疑問が出てきます。
タバンタ村跡は何故ヘブラの塔のふもとにあるのか?
タバンタ村はいつ滅びたのか?
どこか他の地域と交流があったのか?
などなど。
まずはこの、タバンタ村について触れていきたいと思います。
資料集によれば、タバンタ村にはハイラル人が住んでいたとのこと。ここにいたのは他民族ではなかったようです。
その昔、タバンタ地方は中央ハイリアと交易をかわす関係にあったとされています。中央ハイリアとタバンタ地方の交流の拠点は、タバンタ村跡からククジャ谷を挟んだ向かいにある、マリッタ交易所(跡)と言われています。
ただ、周囲に橋の跡などが見当たらないことや高低差が激しいことから、タバンタ地方に住む者達はこのマリッタ交易所まで赴いて交易を行っていたと考えられます。
タバンタ村は100年前の大厄災で滅んだとされていますが、公式資料集でも「推測される」という書き方をされているので、実際の所はわかりません。
ただ、村跡に1機だけガーディアンの残骸がいたことから、大厄災の時にガーディアンがやってきたという線が濃厚でしょう。
しかし、ガーディアンがククジャ谷を越えて来る事は考えにくいですし、資料集でも、ヘブラ地方にガーディアンがほとんど来なかったのはククジャ谷があったからではないかと書かれています(こちらも推測で書かれています)。
思うに、ガーディアンはタバンタ村を目指してやってきたのではなく、北ローメイ城へ攻め込んだ際に幾つかがタバンタ村まで足を踏み入れたのではないでしょうか。しかし、それ以上先は目指さなかったのか数機(あるいは1機)のみが迷い込んできただけなのか、リトの村までガーディアンは辿り着かなかったようです。
タバンタ村にはハイリア人が住んでいたとされています。中央ハイラルと交流が深かったと思われることからも、戦える者がいくらかはいたと思われます。でも、彼らの奮闘も空しく1機壊すのに精一杯だったのでしょう、村は壊滅してしまったものと考えられます。残された残骸は、苦戦しつつも唯一討伐できたものだったのかもしれません。
ちなみに、北ローメイ城跡付近にはガーディアンの残骸が幾つかあります。ローメイはゾナウ族によって作られたものと思われ、以前の考察から考えると、ここはガノンに対抗するべく作られた重要な施設。ガーディアンが攻め込んできたのは不思議ではないと考えています。しかし、残骸があるということは、誰かが戦ったのだろうということ。もしかしたら以前はローメイに誰かがいたのかもしれません。ゾナウの生き残りがひっそりといたのかも……
(この話についてはタバンタから離れてしまうので、別の機会にまた)
閑話休題して。
どうしてタバンタの村はヘブラの塔のふもとにあるのでしょう?
塔というのは、そもそもシーカー族が作ったガノン探知機です。タバンタの塔周辺には大規模な遺跡群があり、タバンタの塔はその遺跡と関連して建てられたと思われます。つまり、塔を作ったシーカー族にとってタバンタの中心は遺跡群のある地区だったため、タバンタの塔は南に立っているのでしょう。
また、塔が作られたのは1万年以上前の話ですので、そもそも村ができたのはその後のことだったのかもしれません。塔は1万年前に当時のハイラル王がシーカー族を追放した際に他の施設や発明同様埋められていますので、後から村ができたのなら、どこに何があるなどわかるはずもありません。
故に、村の位置と塔についてはそもそも関連性が無い物と思われます。
地方名についてですが、タバンタ地方という名が地図から消えたのは、おそらくタバンタに栄えていた文化が消滅してしまったからと思われます。
タバンタの村などがいつ滅びたのか正確なところがわからないため自分の推測から考えると、ここ100年のうちにヘブラ地方に統合されたものと思われます。というのも、現在のマップは人の住んでいる地域を基に作られていると思われます。地方、と名のつく地域には必ず人の住む集落があります。
ただ、そうするとひとつ疑問が出てきます。
リンクの見るマップは、シーカーストーンによるもの。シーカーストーンは1万年前に発明され、その後長い間地中に埋められ、100年と少し前に発掘されました。そして100年前リンクと共に回生の祠に保管され、いまリンクの手元にあります。
シーカーストーンのデータは、そもそも1万年前のものなのではないか? という疑問です。
塔などから情報を得ているから更新されるのは当たり前だと言えばそうですが、地名なんてものは人間が勝手につけたもの。この1万年もの間見つかることさえなかった塔の情報に、合併などの情報が含まれるとは思えません。しかし、タバンタ地方という地名があったことは公式が記載しているので、おそらく事実。単にそこら一帯を便宜的にそう呼んだだけかもしれませんが……
それに、仮に情報が更新されたとしたら、それは誰かが更新したということ。まさか、自動的にデータが書き換わるなんてことないでしょう……大厄災を経験したシーカー族は三人しかいません。そもそも塔の存在すら知らなかったのですから、彼らが更新を行ったとは考えにくいです。
しかし、この疑問については否定が可能です。
何故なら、塔から入手する情報は、確実に現在のものだからです。塔から入手するマップには、現在の地形情報が事細かく記されています。でも、塔は1万年もの間、誰に見つかる事もなく埋もれ続けていました。
ただ、塔はハイラル城(かその周辺)にあるメイン制御装置と通信を行っています。始まりの塔が起動した事をメイン制御装置に伝え、それが他の塔や祠に伝達されます。遠隔で通信を行えるということは情報の伝達も瞬時に行えるという事ではありますが……
例えば大厄災で大きく変わってしまったハイラルの世界を事細かく探知する事は、果たして可能なのでしょうか?
塔に宿る古代エネルギーは、どのようにして周辺情報(地形や跡地など)を入手しているのでしょう?
ここは単にゲーム要素としてのいわゆる「外連味」にあたる部分なのかもしれません。なんやかんやで情報として得られるんだよ程度のものかも。深読みしすぎというか、読む必要が無い部分かもしれませんね。
さて、そんなタバンタと中央ハイラルの交流ですが、そもそもお互いがハイリア人であることから、タバンタには移住していった人がいるという推測ができます。
タバンタ地方へ発った者達との交流の延長が、当時マリッタ交易所での交流だったのかもしれません。タバンタ村がいつから栄えていたのか不明であるため詳細をうかがい知ることはできそうにありませんが、交易所の広さから考えても、それなりの規模の交流があったと考えられます。
今となってはククジャ谷に沿って馬宿を巡る商人がいる程度ですが、その当時はタバンタと中央ハイラルを行き来していた商人も多く存在したのかもしれません。
100年前であれば、リトの村との交流もあったはず。もしかすると、リト族との架け橋的な役割も担っていたのかもしれません。リト族に当時を知る者はいないため、その事実をうかがい知ることはできませんが。
馬宿は大厄災の後に発足した組織ではありますが、もしかしたら周辺の馬宿については、交易所について意識している部分があるのかもしれません。しかし、タバンタ村跡もマリッタ交易所跡にも魔物が住み着いているため、少し離れた所に立てた……みたいな理由があったりするのかもしれませんね。
タバンタ村には、近くにタバンタヒルという丘があります。ここにも民家だか施設だかがあったようで、無残な姿となった跡が見られます。
何かを観測する場所だったのか、単に広い宿などの施設だったのか……
ちなみにここ、マップで見る地形と実際の地形が異なって見えます。石段が埋もれていたり足元付近に窓があったりと、どうやら残骸や雪で地面の高さが変わってしまったようです。
ちなみに地名についてですが、ヘブラ地方の地名は基本的に鳥に関する名前がついているため、由来などから考察はできそうにないです。
*7月17日追記
タバンタ地方の特産品について
タバンタ小麦というアイテムがある。これは、タバンタの平原で広く作られていた作物で、シチューやパンを作る際に必要なものとなる。
実は、地名のついた食材はハイラル米、ハイラル草、タバンタ小麦しかない(ゴロンの香辛料は意味合いが少し違う)。米と小麦、要するに主食となる材料だが、ハイラル小麦ではなくタバンタ小麦という名がついているのは、寒い気候の中で作られる作物だったからなのかもしれない。
となると、ハイラル人のタバンタ移住の目的の一つとして、小麦栽培があったと考えられる。今となっては各地で広く作られているかもしれないが、当時はタバンタでしか作られていなかったか、生産量が郡を抜いてトップだったのだろう(そうでなければタバンタの地名が名前につくはずはない)。
このタバンタ小麦、リトの村のちゅん天堂で販売されている。これについては行き来する商人が持ってきているかミササが誰かから仕入れているのだろうが、その昔、タバンタが栄えていた時代からあった事なのかもしれない。リトの村を訪れる数少ない客であったり、交流の架け橋であったりが商人だった可能性はある。
ちなみにリアルの小麦は元々発芽のためある程度低い気温である必要のあった植物で、寒い地方のタバンタで作られていたというのはごく自然なこと。タバンタは中央ハイラルから近い寒帯であるため、そこに目をつけたのかもしれない。
マリッタ交易所で主に取引された食物はおそらくタバンタ小麦だったのだと考えられる。
こうして食物ひとつ考えてみると、当時の生活が垣間見えてとても面白い。
さて、タバンタとヘブラ……結局主にタバンタについての話になりましたが、ある程度まとめるとこんな感じです。
考えるだけ考えて結論ぶん投げてしまっていますが、タバンタについても何か新しい発見などあればまたまとめていきたいと思います。
次はどこに目をつけようかな。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません